No.508 見えない愛が形に現れ、事故の辛さを捨てられた! 

体験談ビフォーアフター

投稿日 : 2014年6月25日 No.508

【人生好転!】体験談

見えない愛が形に現れ、事故の辛さを捨てられた!

 仕事の帰り、生まれて初めて、交通事故に遭いました。

 一歩間違えば、命を失ってもおかしくないほどの事故です。

 さいわい、頭を5針縫っただけですみました。

 脳に異常なし。足も、複雑骨折どころか、ひびも入らず、打撲ですみました。

 自転車で横断歩道を渡った時、バイクが40キ口ぐらいのスピードで突進してきたのです。

 真横から体当たりされ、私の体は5メートルほど飛ばされてしまいました。

 頭から血が流れているのがわかります。

 「死ぬかもしれない。嫌だ、死にたくない」特攻隊の人の気持ちが、その時、よく分かりました。

 私も、「お母さん、お母さん」と呼んでいたのです。

 そして、恐怖からでしょうか、加害者の手をギユツと握りしめていました。

 親は離れたところに住んでおり、すぐに来ることは出来ません。

 担架で運ばれる時、「どなたか、今、来られる知り合いの人、いませんか」と聞かれ、職場の上司の名を告げました。

 彼女は夜中であるにもかかわらず、飛んで来てくれました。

 検査の結果は、全くの異常なし。入院させてもらえませんでした。

 私は一人暮らしだし、家は二階です。松葉杖で暮すには不自由な環境なのです。

 そこで、職場にある「お泊りスペース」を使わせていただくことにしました。

 その夜は上司が一緒に泊まってくれました。嬉しかったし、心強かったです。

 事故直後なので、不安や恐怖心がありましたから。

 さほど年は離れていませんが、母親がいてくれるように安心出来ました。

 以前、その方に腹を立てて、つっかかったこともあります。

 基本的には尊敬していて好きなのですが、きつい言い方をされ、陰で泣いたこともありました。

 その先輩が駆けつけてくれ、朝ごはんまで買ってきてくれたのです。

 トイレに行くにも介助してくれました。

 身内でもないのにここまでしてくれる人が、しかも自分の身近にいたんだとわかり、感激しました。

 その後も、多くの方から溢れるほどの愛を受けました。

 入れかわり立ちかわり、毎日のように誰かしらお見舞いに来てくれるのです。

 消毒も一人で出来なかったのですが、職場の先輩がたが来て、やってくれました。

 何不自由なく、ありあまるほどの皆さんの手助けを受けたのです。

 佐藤先生の本(『人生の急所』157ページ、ハギジン出版刊)に書かれているように、「どれだけ周りから支えられ、愛されているかを実感し、本当に大きな財産を手に入れ」ました。

 こんなこともありました。

 大阪のUさんがわざわざ、「見舞いに行く」と言ってくれたのです。

 近くに住んでいるわけではありません。東京と大阪です。

 「元気になったから大丈夫」と返事をすると、リンゴとキウイの詰め合わせセットなどを送ってくれました。

 それだけではありません。

 一緒に参加することになっていた会の資料を、全部コピーして送ってくれました。

 私のために、作曲家に頼んで「大切な友達への思い」という曲を作ってもくれました。

 その曲が入ったMDをプレゼントしてくれると聞いた時、涙を抑えることが出来ませんでした。

 「何で私が事故に遭わなければいけないの」と多少は思いました。

 でも、わかったのです。確かに加害者は私をひいた。

 しかし、ちゃんと救急車を呼んでくれた。

 死にたくないという思いから、その人の手をギュッと握りしめた。そういう事実を思い出したのです

 今、この空間が、無駄なくぎっしり愛で詰まっているように感じます。

 多くの方の愛に支えられていると、頭では分かっていました。

 しかし、見えない愛を、形として表してもらい、周りの人の温かさ、優しさを体で実感することが出来ました。

 抱えきれないほどの愛の贈り物を受け取ったのです。

 体に対しても、いとおしきが湧きあがってきます。

 普通に歩けることのありがたみを毎日噛みしめています。

 「あんよさん、ありがとう」と、毎日、感謝しています。

 日に日に良くなっていく変化を感じます。

 事故に遭わなければ感じることの出来なかった喜びです。

 この出来事がなければ、多くの方の愛を体で感じることはできませんでした。

 体に対しても、これほど感謝出来なかったでしょう。

 だから、私は事故に遭ってよかったと思うのです。

 事故に遭う前の自分と、事故に遭ってからの自分だったら、絶対に事故に遭ってからの自分の方がいいのです。

 今、感謝でいっぱいです。

 生きることの素晴らしさを、ひしひしと体で感じています。