No.454 アルコール依存症で33回の入退院を繰り返し「余命1年半と宣告」から奇跡の回復! (千葉県 60代 男性)

(4) その他の精神的のこと

投稿日 : 2014年6月10日  No.454

YSメソッド体験談

アルコール依存症で33回の入退院を繰り返し「余命1年半と宣告」から奇跡の回復!

私は1950年生まれで、両親が日本銀行に勤めていました。
その堅苦しい中の長男として生まれました。

日銀と言う独特の枠がありまして、それは親父の凄く堅い枠でした。
親父は枠にはまらないと面白くないという状態で育ってきました。

祖父母と一緒に暮らしていたので、母親以上に甘やかされて、
朝から抱かれっぱなしで甘やかされ性分というなかで育ってきたのと、
親父の型にはまるのが嫌なのだけれど、
親父に従わなければおもちゃ一つ買ってはもらえない。
という変な人格、変な状況で生活してきました。

私が勤めたのは、IBM系の大型コンピューターのシステムエンジニアだったんです。

バブルが急成長でしたので、引く手あまたで、
行くところ行くところ仕事が大変な訳なんです。

引き抜きをされるたびに給料が上がって行くという状況でした。

ただ、依存性格と言うか甘える性格がありますので、
誰かが私の仕事を見ていてくれないと、面白くなくて仕事ができない。

だから、分かってほしいよ。認めて欲しいよ。愛してほしいよ。
という常にそういう言葉で心で仕事をしていたんです。

37歳の時にちょうどピークで、数億というプロジェクトを任されたのですが、
あくまで個人プレー。私一人が分かってほしい。認めて欲しい。愛してほしい。

という気持ちが強かったものですから、
チームプレーというものができなかったのです。

そこで、プロジェクトのマネージャーをしたのですがどう扱っていいか分からない。
いわゆる対人関係をどう扱っていけばいいか分からないのです。

にもかかわらず役職になるし、取締役になるし、
リーダーになるしでそういう苦しみがあって、
当然のようにお酒の量も増えました。

そして、家族も顧みず、結果として44歳の時に離婚をしました。

その時に娘は14歳、息子は12歳でした。

嫌いで別れたわけではないので、
その後っていうのは物凄い後悔の念や、
なんというか寂しさというのが湧いてきましてお酒の量が一気に増えました。

一日最低でもウィスキーのボトルを一本開けてました。
ですから、凄く飲む日は一本半くらいでした。

それを半年も続けていたのですから、
当然アルコール依存症になりました。

結果は54歳までの10年間で26回入退院を繰り返しまして、
余命1年半と医者から宣言されました。

全く人生最低の状態だったのです。

その時たまたまインターネットでYSメソッドを見つけまして、
すぐセッションを二つ受けたときになんというか、
人間の心のうんと奥の底にある、人間の命、生かされているエネルギー、
宇宙のエネルギーというのが、ウワーッと出てきまして。

YSメソッドと言うのは単に病気をなおすのではなく、
人生全体が好転する思いもよらない事がおきるのだなと体験しました。