投稿日 : 2014年5月21日 No.349
真我メソッド(真我療法)体験談【うつ病改善】
うつ状態でリストカット、抗ウツ剤の副作用から過食症が、【うつ病改善】
大阪のM・Aです。
今19歳の娘が4歳の時、離婚して、一人親の手も借りずに、がむしゃらに変な見栄とプライドを持って、全部自分が育てるんだと、昼夜ずっと働いてきました。
子供は意思もなく、私に連れられ、父とも離され、ふたりで暮らすことになったのですが、とにかく仕事、仕事、仕事。仕事をすればお金がある。子供の自由時間はなかったです。
放任主義やからと言いながらも、すべて自分の時間に子供を振り回してきました。子供の自由時間は学校の休み時間と、家に帰っての30分、1時間なかったと思います。
とにかく夜も仕事、水商売もやっていましたから、子供に本当に寂しい思いをさせました。
娘が中3、15歳の時、スナック、自分の城を持つことができ「これからや」と、そのころ娘は、たぶん心の病気になっていたのでしょう、それにも気づきませんでした。
高1、2学期始まってすぐ「ウツっぽいから病院に行きたい」と「なにいうてんねん、そんな気合入れんかい、そんなわけない、だらだら寝ていて、ご飯も食べない、しっかりしいや、シャキッとしいや」とそんなことしか言えませんでした。
娘はリストバンドをしていました。リストカットをしていたのです。でもおしゃれだと思っていました。ぜんぜん気がつきませんでした。娘の話にも耳を傾けることもしませんでした。「忙しいねん、お母さんとにかく忙しいねん」そればかりでした。
とにかく病院に行ってみたらいいと、病院に行きました。「うつ状態と言われたよ」
「あっそう」と、軽く受け止めていました。
それから2週間後、夜中、私が店から帰って、3時半くらい、寝ていました。そしたら、部屋からよたよたと、今まで見たことがないような形相で、子供が部屋から出てきました。
「どうした」と、長袖を着ていたので、腕をめくると、血をだらだら流して、今まで見たことないような子供がいました。
救急車を呼びました、なにがなにかわからないままに救急車を呼びました。何が起きたんだろうと、受け止めることができません。
子供はそれからも、リストカットを3日後、1週間後、10日後、「お願いだから切らないで」とそればかりでした。
話を私は聞かないのに「お願いだから切らないで」と、そしたら抗ウツ剤を飲みます。飲むとわが子じゃないような目で、副作用から、食べ物をむさぼる、ほおる「この子、自分の子じゃない、目が覚めんと、このまま部屋から一日中でてこんといて、でも命は絶たないでね」と、ずっと私もわがままでした。
そんな中で、ある方から真我療法セッションがあると聞きました。つらかったです。子供ももっとつらかったと思います。
私はお店では歌を歌い、お酒を飲み、笑い、そして家に帰ると悲惨でした。
子供をなんとかと、この講座を受けたら子供は変わると言われて受けました。
子供は、先生をてこずらせ、スタッフをてこずらせ、先生も途中で「もうお母さん、お金入りませんから、娘さんは返します」と。
「いやだ!!先生!この真我療法セッションを受ければ娘は変わるって言われたんです、とにかく何とかして下さい、お金じゃないです、お願いです」
先生は「わかった」と、やっと2日間が終わりました。
私は真我を貫くと確信をしました、そのときに。娘を見ていて思いました。
このまま真我を貫けば、私が本当の自分に目覚めれば、この娘は変わる。
私がどんどん真我療法セッションを受けていくたびに「そうだ、私が病気だったんだ、子供は自分の体を傷つけ、心に痛みを負いながら、私に『お母さん本当の自分に目覚めたら、もっと楽になるよ』」と体で、体で私に教えてくれました。
一度は閉じようと思いました店、嫌いなお客さんもいなくなり、苦手だったこともなくなり、ひとりひとりの笑顔、そして娘が「お母さん、お疲れさん」って。
彼女は「くそばばぁ、殺してやる」とか思っていたと思います、目が言っていました。
でも19歳の誕生日に言いました。
「お母さんありがとう、お母さん産んでくれてありがとう、お母さんが大好きやねん、お母さんと一緒に同じ時間を過ごしたいねん」って。「よかったぁ、、、」私の心も変わったから、子供が変わったのでしょうか?
同じような方がいらっしゃるのでしたら、体を傷付けている方がいらっしゃるのでしたら、本当の自分に目覚めましょう、本当の喜びが待っています。
生かされていることの感謝、ありがたさをわかって、一生楽しく過ごしていきましょう。ありがとうございました。
M・M
「19歳になりました。
本当は手首を切ったのは高校1年生の6月からで、ずっと隠していました。
それからずっとお母さんに伝えていったからわかってくれて、19歳の誕生日を迎えられて、今生きていることが幸せです。
一言で言ってしまうと、お母さんありがとう、離れているけど、お父さんにもありがとうと言いたいです。」