No.174 “前はそんなにひどい女だったんだ…”と思えた S.H(46)東京 OL

体験談ビフォーアフター

投稿日 : 2014年4月24日 No.174

「開発者が語る」奇跡と感動の実録【人生・性格編】

“前はそんなにひどい女だったんだ…”と思えた

ある宗教を十年以上も続けてきたHさんはいいました。

「何年やっても、誰もほとんど変わっていないし、エゴの固まりみたいな人が多いし…。それで行きたくなくなりました」

そんな折に、彼女は講座を受講することになりました。

「とにかく私はよく泣きました。“お父さんお母さん、ありがとう”って書いている内に、涙がどんどん出てきました」

ところがHさんは、受講後逆に落ち込んでしまいました。

「いつも自分は完璧にできると思っていました。ところが、会社の上司に叱られたりすると、何でこんなミスをしてしまうのかなと落ち込んでしまう自分がいました。だから、『真我を受けたのになぜ?』と悩んでいました」

しかし、徐々に彼女にも変化が認められるようになりました。

「まわりの人たちから『あんたは前はこれこれこんな人だったんだよ』とかいわれると、(えっ!私ってそんなにひどい女だったんだ…)って今になって気づくんです。

確かに前は、『頭の悪い人は嫌い!』なんて平気でいっていましたし、自分の思った通りにいかないと、すぐ機嫌を損ねていました。

人に対しても、一ついやなところが見えると、その人の全部がいやになってしまうところがありました。

だから前と比べると随分柔らかくなったと、自分でも認められるようになりました。

でも私はまだ真我を十分に開ききっていないので、もう一度真剣に挑戦してみるつもりです」

受講前

1. ある宗教を十年以上信仰していたが、段々いやになっていた。
2. 「頭の悪い人は嫌い」などと平気でいっていた。
3. 自分の思ったとおりにいかないとすぐ機嫌を損ねていた。
4. 人に対して、一ついやなところが見えると、その人の全部が嫌いになっていた。

受講後

1. 宗教活動をやめた。
2. まわりの人から「あなたは前はこんな人だった」といわれて 初めて自分の欠点に気づいた。
3. 物腰や人に対する接し方が、随分柔らかくなった。

宗教などで勉強すればするほど、逆にその教えと自分の本音との闘いで、自分のいやなところが浮き彫りになり、自己嫌悪に陥り、落ち込む人も多いのです。また、その教えと人の行為を比べて、人の欠点が見え、人を裁くようになる人が多いのも事実です。まさに教えの限界ともいえるでしょう。これからの時代は、外の教えを叩きこむのではなく、自己の内にある、愛そのものの自分に目覚めることが大切なのです。