投稿日 : 2014年6月9日 No.428
YSメソッド 奇跡の体験発表
精神病院に入るほど妻の病を苦にしていたのが一変して幸せに!
今から21年前の事でした。
私たちの2人目の子供を後二カ月で出産という8月のことです。
家内が重度の妊娠中毒となり、
母子ともに非常に危険な状態で手術が行われました。
幸いにも2人の命は助かったものの、
家内の腎臓に大きな障害が残りました。
その頃、私たちは家内の友達の勧めである新興宗教に熱中していました。
毎月、教団に納めるお金は我が家にとってはとても大きなものでした。
しかし、これで家内の体が良くなればと思い、
何の迷いもありませんでした。
でも、一年たっても家内の様子は一向に良くならず、
かえって悪くなっているように見えました。
ほとんどおしっこもでず、
からだがぽんぽこに腫れて肩で息をするようでした。
その様子を、教団の幹部に電話しました。
しばらくして、幹部の口からは
「今月分のお金が納められていませんよ。」と言われ、
私は愕然としました。
文字どおり目の前が真っ暗になりました。
でも家内は、大きな息をしながらも一生懸命子供の服を縫っておりました。
私は思わず、家内の横にあるたちばさみを手に持っていました。
まず、家内を殺してそれから抵抗のしない2人の子供を、
最後は自分でと思いハサミを思い切り家内の方に向けて、
それこそとんでもない顔で向かっていったのだと思います。
その様子を見て家内は必死で
「お父さんしっかりして!
お父さんがしっかりしてくれれば私たちは大丈夫なんだから」
という家内の声で我に返り、
ハサミを思い切り畳に突き刺しておりました。
それから、家内がどこかに電話しているのを
夢の中のように聞いておりました。
しばらくすると、私の友達が何人か来てくれて、
気がつけば私は精神病院の鉄格子のなかにいました。
何週間か過ぎ家内が右手に白い包帯をぐるぐる巻いて、
「お父さん私は人工透析の治療に入ったから助かるよ。
あとはお父さんが元気になってくれたら大丈夫だからね。」
と言う言葉に、僕たちは助かったんんだ。
ということは早く元気ならなくてはと
社会復帰させてもらいました。
でも、小さい子供を抱えての闘病生活ですので
まともに仕事はありません。
パートで働き、子供の世話をしながら
お金さえあればと思い成功哲学などを勉強しました。
子供が二十歳になった時点で、やっと子供を育てる事ができた。
これからは家内の方に何とか時間を作りたい。
ということで今までやっていた事とは
まったく逆の事をやってみようと思い、
ある程度の覚悟をしておりましたが、
お金の執着を捨てて独立をすことにしました。
今までとは違う何かが絶対にあるはずだと、
姫路市内の本屋さんを片っ端から読みあさりました。
ある時、佐藤博士の「天運をひらく」という本に巡り合いました。
私は無我夢中でその本を読み、
資料を取り寄せ昨年の10月に初受講させていただきました。
これこそ、今まで本当になかった感覚です。
家内が20年の間、自分の命を削って
この真我の道を教えてくれたんだということを、
スタッフの方に教えていただいた時に、
私たちは生かされているのだ。
一人ではないんだ、元々自分は凄いんだ。
本当の自分は自分の中にあったんだ。
家内が病気なんじゃない、病気だったのは僕の心だったんだ。
ということに気づかされました。
受講後、何ヶ月かしてうちの子供が言いました。
「お父さん、今までいっぱい私を怒ってくれたけど、
よそのおっちゃんに怒られているようだったけど、
最近はお父さんが本当に私のことを思って言ってくれているように思う。」
と言ってくれた時に、あぁやっぱり凄いなと思いました。
夜寝ている時に、家内の顔、子供の寝顔、
今までだと本当に苦しみの中で寝ていたのが、
最近は自然に安らかに寝ている寝顔を見て、私たちは救われました。
この感動を、私の周りから一人一人にお伝えをして、
宇宙は地球はみんな一つなんだということを
みなさんにお伝えしたいと思います。
今日も姫路の地から私の親友が来てくれています。
「上田さんありがとう、一緒に頑張ろうね。」
ありがとうございました。