投稿日 : 2014年8月18日 No.710
【幸福感】体験談
加害者と被害者、両方の気持ちが痛いほど理解できるのは奇跡!
今回は、モチベーションが低くて、こんな低くていいのかと思ったが、ペナルティーなしに解約することができる期間はとうに過ぎている。
受講前3日前だったので受けるしかないと思った。
あとでこのモチベーションの低さが仇にでた。
このことで、受講中はあまり得ることが少ないように感じた。
「成功と幸福を呼ぶ言葉」長いので「成幸言」とダイアリーは書いているが、これを読んでいて、気づくことが多い。
自分が、受け入れている言葉と、受け入れていない言葉、またはっきり自覚していない言葉の差が解るようになった。
また、はっきり自覚してない言葉だとわかると、この言葉は「近いうちにわかることなんだろう。」と思うと、希望を感じる。
また、トントントンと掘り下げていることでもある。
読むことは真我の追求なんだと思う。
ダイアリーをつけることも自分について掘り下げることなんだと思う。
何もないときには「何もない。」と書く。
なにも無いと書くことが掘り下げることで前の日にも「何も無い。」と書いているのをみると「昨日もだめだったか。」と思うと、自分自身ほりさげることになる。
何も無いときにはどうどうと「何もない。」と書こうと思う。
以前、中央線か山手線に乗っていたとき、前のおじさんが異様にニコニコしていた。
それを見て私は喜んでやらなければならないと感じたが、わりきれなった。
思いっきり睨んでしまったのだ。
このときのことを思い出した。
今の私は、心の奥の奥から幸福感が押し寄せてくる。
今なら睨んだりしないだろう。
そしてその感覚は、あのTVのCMにでている松坂慶子のような感じ・・・。
「松坂慶子」と呼ばれたらどうしよう?ホホホッ。(笑い)
キリスト教会に行ったことのあったがその教義は、部分的には正しく、部分的には間違っている。
どうせならどちらか一方だとわかりやすいけれども、真我を開くことによって検証できると思う。
真我を追求していると、前世でのカルマも解消していくような気持ちになれる。
このことはすごいことだ。
言葉は悪いかもしれないが、真我が開いたことで心の奥の奥まで加害者側、被害者側の気持ちが痛いほど理解できるということであると思う。
このことは、奇跡である。
このような時代になることは全く予想しなかったことで、「すごい」の一言である。「すごい」