No.245 成功哲学書を読み漁り観念の塊が、真我を開くまであとわずかと確信できた 山梨・39歳・男性

体験談ビフォーアフター

投稿日 : 2014年5月5日 No.245

真我メソッド(真我療法)体験談

成功哲学書を読み漁り観念の塊が、真我を開くまであとわずかと確信できた

 今回の未来内観コースを受けて、残念ながら私は真我を開く事ができませんでした。初めに皆さんに「私は今回こそはバリバリと開きます」と宣言したのに・・・。

 前回の宇宙無限力体得コースから2度もですが、またしても・・・です。

 しかし今回大きな成果がありました。私自身の根幹にある部分を見ることができたのです。しかも2日目の11時、といえばあと残り1時間という切羽詰った時でした。

 筆が止まり、書くことが出来なくなった時に支部長のAさんから「さあ書けなくなったら学長のところに行こう」と体を持ち上げられ、しぶしぶと学長のところに行きました。「どうして書けないんだと思う」との学長の声に私の過去の事が走馬灯のようによみがえってきました。

 私は小学校5年生の時から進学塾に通っていました。中学受験のためでした。毎週繰り返されるテストの成績によって毎月クラスが変えられる厳しいところでした。

 私はある国立中学を受験する事になっていました。あるとき通っていた小学校の担任の増田先生に「君は本当に自分の意思でこの学校に行きたいのか?」と聞かれた事があります。

 私は答えに詰まりました。一応「そうです」と答えたものの、心の中では明らかに親のためにする受験だったのです。

 両親の描く良い中学に入り、良い高校、良い大学に入り、良い会社に入るという当時としてはごくあたりまえの両親が子供に描く夢を私は一心に背負っていました。

 両親は私達のために、生まれ住みなれた北海道から東京に転勤してきたのです。

 お父さん、お母さんの期待に応えたい、これがその当時の私の精一杯の生き方でした。残念ながら中学受験は失敗でした。

 両親の期待に応えられなかった私は一方で「やっと終わった」という安堵と「ああどうしよう」という苦しみが交差していたのを覚えています。

 中学に入り高校受験が今度は待っています。この頃からいったい私の人生は何だろうと考えるようになりました。私は私の人生を歩んでいるのだろうか?

 何が自分なのかわからなくなり、私は答えを本の中に求めるようになりました。中学、高校と本当によく本を読みました。

 スチール製の本棚4個分の本は、私が大学に行くときに家を出る資金になったほどです。しかし答えは本の中にはありませんでした。

 30才の時私はサラリーマンから独立し、仕事を始めます。独立した以上社長業です。どのようにすれば成功できるのか、リーダーシップを取るにはどうすれば良いのか、潜在意識を働かせるにはどうすれば良いのか、またまた多くの本を読みました。

 ひと月に5冊から10冊コンスタントに読んでいきました。おかげさまで、全国に代理店が出来、売上も上がっていきました。

 その代理店の皆様を動機付けるために、どのようにアプローチすれば良いのか、またまた本を読みます。6年位すると成長率が少しづつ落ちてきました。

 イヤこれはおかしい・・・と何とかするために成功哲学書を読み漁ります。人によく「私は本を読むのが仕事だ」と言った事があるくらい知識に答えを求めました。

 学長と話していて、「はっ」と気付いたのです。小学校の時いったい私の人生は何なのかと悩んだ時と一緒です。私は答えをいつも外に求めていたのです。

 私がリーダーとして口から出てくる言葉は、完全にいろいろな哲学者とか、成功している人の受け売りだったのです。しかもありとあらゆる答えを持った、完全なコピー人間になっていたのです。

 「自分で自分の人生を歩んでいない!!!!」学長の言うところの観念の世界にどっぷりと使っていたのでした。

 この事が分かった瞬間「ああなるほど、だから開かないんだ」と妙に納得し、嬉しくなり廊下に出て万歳三唱をしてしまいました。

 思うに真我を開くための掘る作業は、私の場合この堅い岩盤にぶつかりつづけていたのです。

 しかしおかげでその穴が掘れてはいないけれども広く大きくなったために、それまでの地層の部分がよく見えて、自分の本質が見えたのではないでしょうか。

 真我が開かなかった自分を承認できた時、妙に幸せになれました。

 私の岩盤はあと5ミリで開きます。

 次回の「天使の光コース」がいよいよ私の真我を開くステージになるでしょう。

 今から楽しみで一杯です。ありがとうございました。