投稿日 : 2014年4月20日 No.77
受講時は、ものすごい強い体感が得られたわけではないと思っていたのですが、受講翌日は、台所に立ったり食事をしながら、突然、言い知れぬ感謝・感動が押し寄せてきて、何度も涙してしまいました。
受講翌日の夜は実家に電話をして、両親に今までの感謝と謝罪の思いを伝えることができました。それまでも母とだけはメールで連絡はとりあっていたものの、実家には戻らない、父とは縁を切るという気持ちで実家を出たので、まず、私から電話したことを母に驚かれました。
本題に入る前、雑談の途中で、母から「お父さんいるよ、かわろうか?」という言葉が出てきたことに今度は私が驚きました。私が家を出た経緯を母は知っているだけに、普段であれば父の話題は出さないのに、です。何か伝わるものがあったのでしょうか?
まず、母にこれまでの感謝の気持ちと、父との不仲に母を巻き込んでしまったことを詫びました。母は「あんたがそう思えたんなら、それでいいよ。でも、何も気に病むことはないんだよ。二人しかいない子供なんだし、何があっても親なんだから切れることはないよ」と、どこまでも優しかったです。
私がどんなに憎もうと愛そうと、母は揺るがないんだなあと。母の愛は私が太刀打ちできないほど偉大でした。
今、この体験を書いている途中でも涙が溢れてきました。人に話してもいまだに泣けてしまいます。
父とは一年ぶりに話しました。父の緊張が伝わってきて、久しぶりに聞く声は震えていたように思います。父は「なんもだ(いいんだよ)、気にするな」と、素っ気ないくらいすぐに母にかわってしまいましたが、父が泣くのをこらえていたように感じたのは、気のせいではないと思います。
後日、父から手紙が届き、「追い出す発言をしてしまいゴメンナサイ。(中略)離れてもいつまでも親娘には変わりはないのですから、休暇には家へ帰って来てください」と書いてありました。
不器用で、真我開発講座を受講する前の私によく似た部分をもつ父の想い、しっかりと伝わりました。
あれほど、私の生きづらさのすべての元凶と思っていた父への恨みは、今は感じません。憎まれ役は愛が深くないとできないと気づいたのです。愛情深い父と母の完璧な愛情を注がれた自分が価値ある存在だと思えますし、両親にもっと幸せになってほしいと思っています。
そのためには、まず私が愛を周囲の人に与えられる存在でいたいと思います。足りないから外から与えられることを望んでいたものを、もうすでに自分が持っているとわかったので、もう欲する気持ちは起きません。
まだ浅い実感ではありますが、真我の存在を確かに感じられたことが喜びです。一生真我を追究し、真我で生き切りたいと思っています。
ありがとうございました。