No.29 人間ドックを受けたら「狭心症・心筋梗塞の疑いあり」と言われた。 東京都・65歳・女性

(8) その他身体的のこと

投稿日 : 2014年4月20日 No.29

受講後、何もなくなり医者もビックリした!全てが必要なことだとわかった

 アイジーエーを初めて知ったのは、大学の友人に誘われたからです。

「心の中を覗けるおもしろい先生がいるよ」と言われました。 

  娘(野村雅美)が9歳の時、「心の中を覗いてみたい」という作文を書きました。娘のクラスにいじめっ子のお友達が二人いて派閥を作っていました。どうにかその二人を仲直りさせたくて、「心の中が覗けたら自分が何とかアドバイスできるのに」と作文に書いたようです。

 たまたま担任の先生が男性でお若かったので、ある時、なんとかしてほしいと私が呼ばれました。

 それで我が家に両方のお母さん方を呼んで、お茶を飲んで、話をしてもらいましたが、お母さん同士も憎みあっていました。それぞれの思いを全部吐き出してもらった時に、お母さん同士が子供達と同じことをしていたことがわかりました。話し合いの結果、お母さん同士も仲良くなり、間もなく子供達のいじめもなくなりました。

 実は、私は保護司をやっています。任命されてちょうど5年目。保護司のことが少し分かりかけてきた頃でした。

 とてもすごい少年がいました。月2回面談のため来訪してきても全く言葉を発しません。ただにらみつけているだけでした。

 「この少年の心の中を覗いてみたい」と真剣に考えていた時に、アイジーエーに誘われたので、二つ返事で「行きます」と答えました。
 
 そして次の日、友人と6~7人でアイジーエーに行きました。30分ぐらいしか時間がありませんでした。

 その時、学長が何とおっしゃったかは覚えていません。特別、講義をされたわけではないのに「問題は相手ではない、自分だ」と直感的に思いました。その少年に対して「悪かったな」と思いました。

 それで、ただ1万円を机に置いて、「すいません。一番早い講座を受けさせてください」と言って帰りました。
 
 学長の第一印象は、ニコニコ、笑顔で優しく「温か~い」感じでした。それだけで癒されたのを今でもよく覚えています。

 従って、何の疑うこともなく、特別に決断するまでもなく「あっ、受けなくちゃ」という気持ちになって、迷っていたお友達には「あの先生のことがわからないの?」と言った一言で全員受けることになりました。

 まだ講座を受けていないのに、その2~3日後に、その少年が来た時、変化がおきていました。

 私が後ろを向いてお茶を準備していた時、「先生、俺なぁ」と話し出したのです。私は何も言ってないのに、少年からしゃべってきました。

 驚きました。申し込んだ時から変わるとは聞いてはいたけれど、本当に変わっていました。すごい体験をしました。ものすごく嬉しかったのを覚えています。

 その後の保護司活動において、相手は自らが更生しようと努力しているので、私は聞き役にまわり、その人の良い所を見るよう心くばりしていました。

受講前は何事も″ねばならない”で生きていましたが、受講後は努力しなくてよくなりました。
 
 特別何か困ったことがあって受講したわけではありませんでした。結果、受講したからといってもドカーンと大きく開いたわけではなく、瞑想しても光が見えたとか全くなくて、こんなんでいいのかな?とずっと疑問に思っていました。

 ただ、変わって見えたのは、受講後帰る道すがら、新宿の夜の街がキラキラと輝いていることでした。

 さらに不思議なことに、「ただいま」と帰った時に、私の声を聞いただけで、娘が2階からダーッと降りてきて、「お母さん、何かいいことがあったの!?」と言ったことです。娘には講座のことを何も話していませんでした。

 「トントンと受けるといいよ」と学長に言われ、その一言で『未来内観コース』の次、『宇宙無限力体得コース』を続けて受講しました。

 あちこちでボランティアをしていましたので、家族関係、結婚問題、離婚問題等、困っている方がいるとアイジーエーにお連れしました。 

 『未来・宇宙』を受けて2年後に訪問介護事業で25人の会社を作り上げていました。

 杉並区の後援と都の協力、講師、お医者様、素晴らしい友人に出会い助けられ、皆様のお陰で順調に動き出しました。少しずつ「Hさんがやるなら」と賛同者も増えていきました。何も分からなかったので、動かされるままに、ただただ動き回りました。

 私がやりたかったことは、地域に根ざしたボランティアです。どこにもない仕事をしたかった。他ではなかなか引き受け手のない、生活保護を受けているような方、重病人の方のケアです。寝たきりの方のところには、私が直接行っていました。

 半年経った頃、仕事も増え、それに応じて人も増強し、同時に事務所を借用し、順調に運営していました。

 私は長い間、家族に迷惑をかけていたので、初めて休日をもらい家族旅行に出ました。ところがその間に、会社の方針が変わり、儲け主義に傾き、私の今まで培ってきた考え方、行い方と相反するようになっていました。 

 一緒に立ち上げに努力した友人からも、当然不平が続出し、みんなが反発して「やってられない」と私に言ってきました。そのストレスのため、胃が悪くなったり心臓がおかしくなった方もいて、大変な状況になりました。

 毎晩友人が泣きながら、私に相談に来る様子を娘が見かねて、アイジーエーに電話してくれました。

 実は、『宇宙』でのスピーチで「ボランティア活動は今まで通りに続ける」また「老人問題にも取組みます」と発言していました。

 学長からは「スピーチで言ったから、会社ができ、そういう結果になったんでしょ。」と言われ、言霊のすごさを実感しました。

 また「全部捨てなさい」と言われ『天使』を受けることになりました。ちょうど『天使の光コース』が新設されたばかりの時です。

 自分も体調を崩し、人間ドックを受けたら「狭心症・心筋梗塞の疑いあり」と言われ『天使』受講前に心臓の専門病院で検査を受けました。

 午前中は検査機器をつけても、うまく測定できませんでした。昼休みに辞表を書こうと決めて、便箋・封筒を買いに行きました。

 午後の検査で、MRIの台にのった時、瞑想したら、紫色の煙のようなものが体を吹き抜けました。その時「病気はない」と実感して、本当になにもありませんでした。医者がビックリしていました。

 『天使』を受けた時はすごかったです。「命」さえ捨てた時、身体中電気が走ってひっくり返って、起き上がることも座ることもできない状態になってしまいました。自分がない、すさまじい体験をしました。

 『天使』の懇親会の時、学長から「Hさん、全部捨てたんだね」と言われたので「はい、さっぱり捨てました」と言ったら、「じゃあ、次の月からアイジーエーに来れるね。1月6日からいらっしゃい」と言われました。
 
 介護の会社に辞表を出したら、皆さんビックリされました。辞めたいと言っていた友人達より先に辞めることになりました。一緒に立ち上げた親友と友人達の両方から離れることにしたこと、仕事は辞めても相談にはのることを伝えました。アイジーエーに行くまでの1ヶ月で、友人達の仕事を割り振り、私の責任者としての仕事は新しい人に引き継ぎをしました。

 しかし、一方、父が倒れて入院し、生きるか死ぬかになり、学長にお断りの電話を入れた所、学長は「大丈夫ですよ。1月6日来て下さい」と言われました。

 父は、12月29日仮退院し、年末年始を自宅で過ごし、そのまま退院となりました。1月6日予定通り、アイジーエーへ出勤でき驚きました。

 学長から「あなたが真我を追究しようとしているのに、悪くなるはずがないじゃないですか!」と言われ、涙が出ました。これしかないと確信が深まりました。

 最初は、講座のある時だけ、金・土・日・月と出勤していました。月に10日も出たらいい方でしたが、そのうち、講座が増え、毎日のように出勤するようになりました。

 振り返ってみると中学の時、兄が病気になり、身の回りを手伝っていたこと、両親の介護をしていたこと等、アイジーエーに入って講座スタッフや真我カウンセリングをする中で、何ひとつ無駄な事はなかったと、すべてがこの時のために必要だったと分かりました。

 両親は、明治生まれで、育ての母は博多の人でしたから、上下の隔てはうるさいし、すごく厳しく躾けられました。今思い出せないくらいですが、″ねばならない”で本当に凝り固まっていました。

 茶道を教える立場にもいたので、上から下を見ていたのでは?保護司として対象者を見る時も、そうであったかもしれないと思います。
 
 40年間茶道をしてきましたが『真我瞑想』を受けた後、父の介護を期して、きっぱり辞めました。そのかわり、『真我瞑想』を毎日続けています。そのおかげか、お茶から遠のいていたはずの茶道の神髄、奥深さがかえって身近に感じられるようになりました。

★「一瞬で宇宙とひとつになれる真我瞑想」に体験談として掲載

 この夏、娘が出産をしました。

 孫が生まれる前に、今まで住んでいた家を建て替える流れになりました。長年住んでいた家を壊し、たくさんのものを捨てました。
「捨てる哲学」を実践しました。

 娘の出産を機に、こんなに娘と一緒にいて、こんなにたくさん娘と話した時間はありませんでした。今、心から娘が愛おしく、何でも手伝ってあげたいと思います。

 そして、出産の時は部屋の外で、ただただ手をあわせるだけでした。「オギャー」の産声が聞こえた時には、応援に来てくれていた、亡き父母、ご先祖様にも「ありがとうございました」と手を合わせていました。初めての何とも言えない感動でした。

 学長夫妻の顔も浮かび「お陰様で、新しい命が生まれました。ありがとうございました」と声を出しておりました。娘夫婦は学長に出会わなければ、結ばれていなかったからです。感謝の言葉しかありません。あとで聞きましたら、娘も出産の苦しい中「お母さんも今と同じ痛さで自分を産んでくれた。ありがとう」と思ったと、凄い一言を言ってくれ、自分の娘ながら素晴らしい娘だと再確認しました。
 
 その孫(女の子 安里)も1ヶ月目を迎えようとしています。母乳だけで丸々と太って表情も豊かになって愛らしくなってきました。
 学長が『男と女のソウルメイト発見コース』の講座中、結婚は「命のリレー」をすることだとおっしゃったと伺い、誠にその通りだと実感しております。
 これからは夫にはもちろん、自分の周りのすべての方々に愛を光をおしみなく出し続けていくつもりです。

 今は何事にも縛られず、自由に気楽に生きています。これからの私は、時々講座等のお手伝いをさせて頂くつもりです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。