No.16 悪かった上司たちが、一斉にいなくなり解決 東京都・51歳・女性

体験談ビフォーアフター

投稿日 : 2014年4月18日  No.16

職場の上司との関係で行き詰る。

 きっかけは、8年前、職場の上司との関係で行き詰り、仕事がやりづらくなっていたことでした。

 休みの日に美容室に行って、待ち時間にたまたま見た週刊誌の中に、佐藤学長の本の紹介があり、目に留まりました。『なぜ本気で自分を活かさないのか(☆)』というタイトルが、心にひびき、すぐに本屋に行って読みました。「人生を考える時間が必要」というところを読んで、今なんだなと思い、受講しました。

☆この著書は、加筆修正の上「人生の急所(ツボ)」として出版

 上司が問題であり「この人さえいなければ、仕事が上手く行く」と思って受講しましたが、上司ではなく、両親とのことが問題でした。

 以前に、精神世界のセミナーを受けて、徹底的に母に対する恨み・憎しみを出していた時期がありましたが、解決していませんでした。

 両親の問題がなければ、今の職場の上司との問題はなかったのか?と思えた時に、上司のことは吹っ切れ、それだけで解決してしまいました。

 父は、外国船航路の船員で、ほとんど家にいませんでしたので、父の存在感がありませんでした。たまに休暇で帰ってくると、窮屈で威圧感を感じ、何を話していいかもわかりませんでした。やっと気にせず話せるようになる頃に、また父は仕事で船に行く、という繰り返しでした。

 母も宗教に行っていたので、家にいないことが多かったです。宗教に行っている時はいいけれども、家では宗教で言われたことはやっていないと、母を批判していました。

 私は、生まれつき額にイボがあり、小さい頃から悩んでいました。

 そのことを母に話したら、母を責めることになると思い、言えませんでした。悩んでいること、苦しみを誰にも言えず、そぶりさえ見せていませんでした。

 母だから、女だから、母には気付いて欲しかった。その思いが、母への攻撃的な恨み、怒りになっていました。

 言わなかったことが、今までの人生に影響を与えていました。色々な場面で苦しい、困っている、嫌だということを人に伝えられない。本当はしたくないけれども、やらなければならないと思い、やってしまう。

 たった一言、母に「どうしてここにイボがあるの?」と、言えていれば、私は今までの人生、こんなに苦しまなかったのではないか?と思いました。

 母に対して許せない心は、消えていましたが、感謝はしていませんでした。

 額のイボさえなくなれば、普通の女の子になれると信じていました。24歳で手術をして、イボはなくなり、解決したと思っていましたが、心はイボがあって悩んでいた時のままでした。

 ある時、職場の上司がガラッと辞めて行き、上司を取り囲んでいた人達が、一斉にいなくなって、仕事がやりやすくなり、最初に問題として抱えていたものがなくなってしまい、仕事は難なく続けられました。

 カナダでの海外講座に参加した時に、日本に住んでいる私達は恵まれていると思いました。学長に会いたいと思ったら、いつでも会える距離にいることに気付き、毎月東京本部に行こうと思いました。

 当時私は長崎に住んでいましたが、毎月何かに参加しようと東京へ来ていました。前泊、後泊をするため、飛行機の時間があるので、アイジーエーに寄り、そうじなどを手伝ったりもしました。真我体道など、出られるものは参加しました。そのうちに、色々な受講生の方と顔見知りになりました。

 2003年7月、真我食セミナーを受講し、前後のフォロークラスに参加、いよいよ長崎に帰る時でした。ある方から「これだけ真我を追求してきたんだから、一生続けるでしょ?そしたらこっちに引っ越してきたら?仕事はいっぱいあるわよ」と言われました。

 『一生』という言葉に、私の心は、ものすごく動くものがありました。私は「毎月長崎から、何のために来ていたのかな?」と、その時に思いました。

 折に触れ「こっちに来て、いい人見つけて結婚したら」と言ってくれる方もいて、二人の言葉が一緒に自分の中に落ちて、結婚について本格的に考えようという気持ちになりました。恋愛・結婚という言葉は、私の世界に、それまでありませんでした。

 「誰かいい人がいたら、言ってあげるから」とも言ってくれていましたので、その方に「この中ではY・Iさんかな…」と頼みました。人にものを頼むこと自体、ましてや結婚に関することを人に頼むことは、それまでの私には考えられないことでした。

 頼んだ後に、何て大胆なことをしてしまったんだろうと、ものすごく後悔しました。

 彼も、真我食セミナー翌日の真我体道に、一緒に参加していましたが、話もしていませんでした。年齢的にも既婚者だと思っていましたので、断られても大丈夫と思うようにしていました。

 ところが、「バツイチだけど独身だよ」という返事が来て、そこから話が進んでいきました。彼は千葉県で遠距離でしたので、携帯でメールをするようになりました。

 7月の真我体道で出会い、翌年2月に結婚。ほとんど会わず、ほとんど直接会話も交わさず、結婚にいたりました。どういう人かも分からない状態で、アドバイスしてくれた人の言葉に忠実に行動しただけです。

 2003年10月、私のすぐ上の兄が食道ガンであることが分かりました。兄は、私の良き理解者であったため、ガン=死を予感した瞬間、寂しくなって、結婚に意識がいったように思います。

 私は人との出会い、縁に恵まれているなと思いましたが、真我開発講座を受講していなかったら、受講生の方達の支援がなかったら、今の状況はありませんでした。

 二人の受講生の方が、私のことを思って言ってくれていると受けとめられたから行動できました。講座とその前後のフォロークラス参加という、真我漬けの状態の時に言ってもらったから受けとめられたと思います。

 真我に出会っても、最初は起きてくる現象に振り回されてばかりいました。

 取り立てて、良くなる、悪くなるということはなかったけれど、毎月アイジーエーに通っているうちに、少しずつ自分が本当に取組まなければならない所に、進んで行っていました。

 長くかかったけれど、無駄な年数ではなかった。全て意味のあることだったと思います。

 生まれつきイボがあったことで、コンプレックスがとても強かった。

「私は可愛くない」可愛くないから「人から好かれない」人に好かれなければ「結婚できない」というものが、小さい頃からありました。「イボがどうにもならない」が「私自身がどうにもならない」にもなっていました。相当コンプレックスが強かった。「どうせダメ」が口癖になっていました。

 学長から「言わなくなったのは、結婚したから。愛があるからで、それまでは、愛を感じられなかったから」と言われました。

 今年四月に、松戸の真我教室・基礎編、真我友の会に参加した時に、両親に心底感謝できていないことに気付き、もっと踏み込まなければと思い、1day未来を受講しました。

 両親のことをやりきることを目的にして受けました。そこを真剣に取り組んだのは初めてで、やっと本来の『未来内観』ができたという達成感が、とても大きかったです。

 主人とは、思いっきり喧嘩をしますが、不思議です。その時は、かなり腹が立ちますが、一晩過ぎたら「おはよう」と言っています。

 先日、応用編でその話しをしたら、学長から「何で仲良くなるかというと、二人並んで同じ方向を見るから」だと言われました。これからも、ともに真我の追求をしていきます。