(2)両親の介護をきっかけに「うつ」発症受診後 、うつを手放せることに気づき心境が一変した 新山高志さん(仮名・59歳)

(1) うつになって良かった

心身の限界状態から急回復し、父への恨みつらみもうつ病も解消

YSこころのクリニックで寛解・回復した多くの方が、「うつになって良かった」という言葉を口にされます。

それは、うつになったことをきっかけにして、「佐藤康行 真我メソッド」(YSメソッド)のワークに取り組みうつを抱えた人生から、本当の自分で生きていく人生へと転換できた実感があるからです。
うつが治るだけではなく人生全体が好転していくことが「佐藤康行 真我メソッド」(YSメソッド)の特徴です。

治療を通して、心の曇りが晴れ、本当の自分が見えると、自分の個性や役割を生かして大活躍の人生をスタートすることができます。

今回ご紹介する寛解者の方は、両親の介護をきっかけにうつとなり、パートナーも自分のもとを去っていくという落ち込みの中で治療を開始されました。
そして、3ヶ月の通院の中で、「自分がどこに向かい何をすればいいのか」という方向性をみつけ、「まさにこれから新たな人生が始まる」という心境を得ていかれました。

その変化の歩みを、ぜひご覧下さい。

◆介護疲れからうつを発症◆

私は「両親からそれほど愛されていない」と思って人生を過ごしてきました。
特に、自分の進路を父親に勝手に決められたことが、根強い怒りと恨みになっていました。
私がうつになったきっかけは、3年ほど前、父親が腰椎を骨折したことです。
父は病院に入院し、退院後は夜中に体の不調を訴えるようになりました。あまりにそれが頻繁で、私は不眠に悩まされました。
その後、今度は母が認知症になり、ほとほと手を焼かされました。時には母親を叩きたい気持ちに襲われたのですが、ぐっと飲み込んで耐えるほかなく、私の心はついに悲鳴を上げました。身も心もフリーズ状態になってしまったのです。
心療内科でうつと診断され、薬を飲みましたが改善することはありませんでした。
さらに私を苦しめたのが、当時いたパートナーとの関係です。パートナーは、うつに苦しむ私を見て「どうしようもないわね」などと責めました。これは本当に心の痛む出来事で、症状はさらに悪化。結局パートナーは私のもとを去って行きました。
残された私は仕事を大幅に縮小しましたが、社会との接点がなくなって、さらに落ち込んでいきました。

◆一冊の本との出会いが転機に◆

そんなある日、たまたま入った書店で発見したのがYSメソッドの本でした。
この本を知ったことが、YSこころのクリニック受診のきっかけです。
クリニックを訪れて感じたのは、カウンセラーの方が本当によく私の話を聞いてくれることでした。
集中カリキュラムでは、私の生い立ちを振り返りながら、恨んでいた両親との関係を掘り下げていきました。
しばらく経ったそのとき、自分のなかからブワッと溢れ出てきた感覚に、私は驚きを隠せませんでした。それは恨みどころか想像をはるかに超えた親の大きな愛、無償の愛に包まれて育った、数々の思い出でした。
母は編み物が得意で、小学1年生の頃、私にセーターを編んでくれました。セーターはクラスの友人にうらやましがれ、担任の先生にも褒めらて、とても嬉しかった。そのことが自然に思い出されて、涙がこぼれていきました。
父に対しても、仕事で忙しいなか映画や山登りに連れて行ってくれた記憶が甦ってきました。また、父が強引に進路を決めたのも、私の人生を考えていたんだなと気持ちが理解できました。
過去をひもといたことで、両親に愛されていないという認識が、愛されていた人生へとひっくり返りました。

◆これからの方向性が見えてきた◆

その後も受診を続けるうちに良くなっていくのを実感していたのですが、ある日ふと「自分はうつを手放せばいいんだ」と思いました。
私は相手を攻撃しないために、あえてうつになることを選んだ。それは自分の選択だから、そうと分かれば、あとはうつを手放せばいい。そして自分がどこに向かい何をすればいいのか、方向性が見えてきました。
通院した3ヵ月で心の状態は回復しましたがどんな仕事をするかはあわてずじっくり探して、社会復帰したいと思っています。
まさにこれから新たな人生が始まる